青梅市柔道連盟の歩み

小さな巨人

 戦後、社会事情は悪くまた食事事情も悪く何の娯楽もなく、青少年の心の支えも

確たるものはなく、成人においては青年団で活動はしていたものの、スポーツを楽

しむ機会もなく、暇をもて遊び夜を放浪し酒に明け暮れる日々が多かった。その時

にひとつの光明をかざしてくださったのが岸澤竹次郎先生でした。柔道会創立に当

たっては、岸澤竹次郎先生、山形宏三先生が東奔西走し地元の名士、宇津木啓太郎

先生のお力添えを頂き、青梅警察署の道場をお借り出来るようになり、昭和26年4

月に青梅柔道会として発足し、会長を宇津木啓太郎先生にお願いし、岸澤・山形両

先生の下に本格的に稽古が始まりました。岸澤先生は高円寺の高木道場で小さな体

(156センチ) で師範代を務められた実力者で小さな巨人でありました。また、岸澤

先生の手助けをした山形先生も同じ体格で小さな体格ながら大きな柔道で若者たち

に指導をしてこられました。

 翌27年の東京柔道大会には岸澤先生が大将で出場しました。岸澤先生が最年長選

手として喝采され新聞紙上に詳細に報道されましたので大いに反響があり、ここに

青梅柔道会ありと知らせ示た。

 また32年には都代表になり、全国大会にも出場し長崎・広島を連覇し、名実共に

三多摩の雄に称され、益々盛況になり会員も急増したと共に横田基地からも岸澤先

生を慕って門を叩く者が数多くいました。また埼玉・瑞穂・氷川・五日市などから

も大勢の方が稽古に汗を流していました。

 柔道会は、竹が大地に力強く根を張るように年をます毎に大きくなり、不動なも

のになりました。柔道を通じて健全な青少年育成を目指して発足した柔道会も地域

社会に認められ、昭和39年に青梅市柔道スポーツ教室が各地域に開講され現在は

7ヶ所で毎週日曜日に250人前後の小中学生が稽古に励んでいます。

 

 

会から連盟に改組

 昭和40年には宇津木会長の都合により二代目会長に岸澤先生が就任しました。当

時は会社関係・高校・青年学校等に指導員を派遣して柔道の指導をしていたが実業

団はそれぞれ独立しました。この期に「青梅市柔道連盟」と改組しました。昭和47

年6月に市民会館に於いてOB・現役が一体となり創立20周年記念式典が行われまし

た。大盛況の内に終わったことは輝かしい1ページを残したことと思います。また

長年の願望が叶い永山グランド下に永山柔道場ができ、何の気がね無く練習に励む

ことになり、20年にわたりお世話になった警察柔道場に別れを告げました。

 創立20周年誌を作成するにあたって資料を集めたが残念ながら事務局が無かった

ため記録が残っていませんでした。幸い写真が数多く残っていたのでそれを頼りに

曲がりなりにも記念誌ができました。

 そこに恒益俊雄先生が「連盟の歴史を綴った記録を後世に残さなければ、我々が

笑い者になってしまう。また組織そのものがしっかりしていないから役割分担を明

確にした方がいい。それに規約が有って無いようなものだ。上層部で話し合いの内

に決まってしまう。それではいけない。」と言う意見があり、その後の一年間は規

約の見直し、組織作りに専念しました。その結果は大会を見れば分かるように、各

自が部門、部門を責任を持って遂行し、各大会を無事に終了しました。

 また昭和50年から議案書 (事業・その他資料) を永久保存版として残し、今年で

34年になります。事務局として手腕を奮われた恒益先生に敬服いたします。

 創立20周年後の青少年の活躍はすばらしいものでありました。東京都少年柔剣道

練成大会においては強豪チームを連覇し5回出場の内、団体戦三回優勝高校個人戦

では優勝2回、準優勝2回と輝かしい記録を残しました。また、東京都青年大会に

おいても準優勝を収める好成績でありました。50年の8月には青梅で市町村大会が

行われました。猛暑のなか、農林高校体育館で熱戦のうち無事終了しました。

 昭和51年大門体育館において「第一回青梅市青少年柔道選手権大会」が行われま

した。今までの大会では審判員がいなかったため外部から先生を招いてお手伝いし

て頂きましたが、今回からは連盟内部の者だけで運営した記念すべき大会でもあり

ました。

受 賞

 我が連盟の歴代会長の功績が高く評価され数々の賞を受賞されたことは、会長の

みならず我々にとっても嬉しい限りです。

 

昭和50年10月10日 文部大臣賞         岸澤竹次郎先生

昭和55年 9月27日 内閣総理大臣褒章       岸澤竹次郎先生

昭和56年 3月 8日 都柔道連盟会長賞      山形宏三先生

昭和57年11月 3日 勲四等瑞宝章        宇津木啓太郎先生

昭和59年11月 3日 勲六等光旭日章       岸澤竹次郎先生

昭和63年 9月26日 全日本社団法人善行会賞   山形宏三先生

平成 3年10月 1日 都知事賞(スポーツ功労賞)  山形宏三先生

 

 ここにあらためて先生方に心からお祝い申し上げますとともに、益々ご健勝でお

られますようご祈願申し上げます。

柔道の鬼

 昭和57年9月に青梅市柔道連盟創立30周年式典 (総合体育館) が行われました。

盛大のうち無事終了とは行きませんでした。それは台風の直撃を受け大変な思いを

したことでした。

 昭和60年4月岸澤会長の都合により山形宏三先生が3代目会長に就任しました。

山形会長の一日は柔道に始まり、柔道に終わるとでも言うのでしょうか、柔道に掛

ける情熱には計り知れないものがあり、柔道の鬼と言えます。

 4月にスポーツ教室開講式後、第10回記念青梅市青少年柔道選手権大会が熱気の

なか盛大に終了しました。

 昭和39年に市主催柔道スポーツ教室が設けられ、20年がたったこの時期は少年達

の活躍が著しく目立ち、全国に類のない年間昇段者が32名を記録しました。また女

子の年間昇段者が4名を記録し話題にもなりました。この頃からスポーツ教室卒業

生が各地で活躍していることを耳にするようになりました。我々指導者にとっては

この上もない喜ばしい限りです。

 61年6月には全日本柔道少年団体東京都西地区大会にも三部門に優勝すると云う

好成績を残しました。しかし各スポーツが盛んになるにつれ柔道人口が激減してい

きました。小学生にはそれほど影響は無かったが中学生以上の者に対しては連盟を

揺さぶるくらい大きな打撃がありました。現在スポーツ教室経験者が入会すること

はあっても一般の入会者はゼロに等しい状況にあります。中学校に柔道部がないの

で、折角手塩にかけ育てた子供達が中学生になるとほとんどの者が離れて行きます

。行政・教育委員会などに陳情していますが、教員の中に指導者がいないとのこと

で、いまだ柔道部はできていない状況にあります。これからも今までにまして行政

に働きかけて行きたいと思います。

岸澤先生勇退

 岸澤先生が現役を引退したのをきっかけに、先生の功績を讃えると共に試合を通

じ柔道の技術、礼法を正しく取得し、西多摩地区における青少年育成と柔道の普及

・復興及び親睦を図ることを目的とし「岸澤旗争奪柔道大会」を開催することにな

りました。第1回の参加チームは青梅・福生・五日市・羽村・昭島・秋川柔道会・

瑞穂農芸高校・拝島高校・青梅東高校等で熱戦が繰り広げられました。

 回を重ねる毎に参加者が多くなり、第10回記念大会には232名の参加者があり盛

大のうち無事終了しました。

愛弟子の会長誕生

 平成6年4月、伊藤博元先生が4代目会長に就任しました。岸澤先生の秘蔵子、

先生が一番可愛がり、期待していた弟子なので、私たちよりも先生の方が「俺の仕

事も終わったようなものだ」と一番喜ばれたことと推察致します。

 その年の8月4日、市町村総合体育大会が青梅で開催されました。市からも「最

低でも総合3位に入賞するように、各団体の皆様方に頑張って頂きたい」との要請

が有りプレッシャーを感じながらも、選手一丸となり熱戦を繰り広げ、惜しくも準

優勝ではあったが好成績を収め、青梅市を「総合優勝」に導きました。また、最近

の大会では三多摩地区柔道段別選手権大会に於ては二部門に優勝、関東近県春季柔

道大会に於ても優勝者がありました。

 平成10年度においては青少年の活躍が著しく目立ち、各大会に好成績を収めまし

た。東京都少年少女学年別選手権大会では、1652選手参加の中入賞者5名・三多摩

地区柔道段別選手権大会においても、優勝1・準優勝3・三位5、また近郊の各大

会にも優勝者6名・準優勝6名・三位6名、計32名が入賞しました。これからも青

少年の活躍を大いに期待をしたいと思います。

 平成13年7月8日「青梅市柔道連盟創立50周年」式典が行われました。